防災を軸に、地域・企業・個人をつなぐ。
地域の防災力を上げ、防災関連の商品開発もサポート
長岡震災アーカイブセンター「きおくみらい」を運営し、地域の防災力を上げるための研修や講演会などの活動を行う(公社)中越防災安全推進機構。2011年に機構内に設置された地域防災力センターで、2023年からセンター長を務める野村さんに話を伺った。
長岡市生まれ。大学進学を機に上京し、卒業後は飲食店を経営。29歳でUターンし防災の会社を立ち上げる。中越防災安全推進機構と連携し、被災地でのボランティア活動や防災に関する行政支援に携わる。持ち前の明るさと親しみやすさを活かし、地域や企業、学校向けの防災教育も積極的に行う。
Q1 防災関連の仕事を始めたきっかけは?
弟と二人で「野村防災」という会社を立ち上げたのが2013年。東日本大震災の影響で世の中は防災の話題が多く「自分達もできるのでは」という気持ちでした。ところが、いざ始めてみると全く仕事がない。営業回りで中越防災安全推進機構を訪問すると、当時の諸橋センター長がよくしてくれて、業務で連携することになりました。それでも起業後1年半くらいは生計を立てるために夜間のバイトもしていました。辞めずに続けられたのは、仕事の充実感があったから。2013年に発生した長岡の豪雨水害では、昼間は泥まみれでボランティア、夜はバイト。そんな生活に充実感を覚えましたし、被災者の方々の感謝が自分達の踏ん張りにつながりました。
Q2 印象に残っていることは?
2016年の糸魚川市駅北大火です。貴重な経験ができたと思うのは、発災直後からまちづくりまで一連の流れに携われたこと。ただ建物が新しくなればいいという「血の通っていない復興」にしないために異業種コミュニティ「まちづくりらぼ」をつくり、糸魚川の若者を集めてどんな街にしたいか話し合いました。本音で話してもらえるように一時的に糸魚川に移住しました。現在は長岡市で中越防災安全推進機構の一員として活動していますが、その経験が「防災はまちづくり」という今の考え方に直結しています。
糸魚川市駅北大火の支援では、災害ボランティアのみならず復興まちづくりにも関与。若者の意見交換の場作りや異なる世代をつなぐ役割を果たした。
Q3 能登半島地震ではどのような活動をされましたか?
まずは新潟県内の被害状況を確認し、弟を派遣。同時に石川県内で関係のある団体を探し、連絡を取りました。状況を聞くと「トイレが大変」とのこと。6日に現地入りし、ニットクさんのトイレカーなどの物資を送る準備を進めました。1月は命をつなぐための支援、2月以降は生活の環境づくりを中心に支援しています。
能登半島地震では、被災地の商店にトイレ物資を届けた。中越地震の被災・復興経験を役立てるべく企業や団体などで構成される「チーム中越」も活躍。
Q4 今後やりたいことは?
今年は新潟県中越大震災から20年。職場の中では比較的若手ですが、昨年、センター長に任命していただいたことに先輩方の期待を感じます。今後は次の20年を作っていく同世代の仲間を増やしていきたいです。事業の一つに企業向けの勉強会があるのですが、防災の勉強会は商品開発のヒントになり、私たちがその商品を被災地に持っていくことで販路開拓にもつながります。新潟の企業が作った防災商品は数多くあります。普段使いできて非常時に役立つ防災商品も多く、そういったものを活かしながら、日常と非常時の境目を無くしていく「フェーズフリー」の考えを浸透させていきたいです。
自治体や企業からの防災教育の依頼も多い。講演、グループワークのコーディネート、今後の取組のロードマップ化など、地域の防災力を上げるための支援を行う。
企業情報
公益社団法人中越防災安全推進機構 地域防災力センター
長岡市大手通2-6
TEL.0258-39-5525
URL https://www.chiikibousairyoku-center.com/